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夏はなんで文庫の季節なんだろう。
いつから、どの出版社も夏に文庫フェアやりだしたんだろう。
気になるけど、調べるほど知りたいわけでなし。

というわけで、最近読んだ文庫のうち、沖縄に関するものを。
夏だからね。
■よしもとばなな『なんくるなく、ない』新潮文庫
作者が沖縄の旅で過ごした日々や思いをつらつら描くエッセイ。
なぜか沖縄と比較して内地のダメな部分をグチる記述が多い。
言いたいことはわからなくもないけど、不毛。
なんかヤなことあったんかなあ。確かに沖縄はいいとこだけど、
他を貶めてまで持ち上げられても、うれしくないよ、きっと。
それに、沖縄以外の日本にだっていいとこたくさんあるし。
と、沖縄の本なのに、沖縄以外をフォローしたくなる妙な本。

■池澤夏樹『神々の食』文春文庫
沖縄を愛し、沖縄に移住していた作家・池澤氏が
沖縄の食について書いた本。
豆腐やカマボコといった平凡な家庭料理、というか食材が
丹念に作られていく過程を、興味深く、かつ丁寧に記す。
こうした、沖縄で作られる数々の食のあり方に触れることで
食べるもの・食べるという行為の根っこにあるもの
(生きていく上で当たり前なんだけど、それゆえ感じる崇高さ)
をゆっくり描き出していく。
写真は、ばななさんの本も担当してる垂見健吾氏。
沖縄で写真と言えば、この人なんだろうか。
キラキラ輝く豆腐ようや、青空の下でたたずむアイスクリンの
パラソルといった写真を見ていると、一度はここで暮らしてみたい
と思わされるのだが…。次↓の本であっさり崩される。

■仲村清司『住まなきゃわからない沖縄』新潮文庫
沖縄移住希望者が増える一方の昨今、実際に内地の人間が沖縄に
移住してみた様子を、住まいや食、言葉等の生活に即して描く。
リゾートやスローライフとは無縁の、地に足ついた、というか
地味でリアリティあふれる生活がえんえん描写される。
沖縄に住んだら、どんなに大変で、どんなに楽しいかがわかり
沖縄に本気で住もうとしている人は一度読んでおくといいかも。
個人的には、住居が虫の巣窟になりやすい、という時点で
移住はあきらめた(虫キライ。とにかくキライ)。
文体は、いわゆる椎名誠調。ちょっとクドい表現も多いが
読みやすいことは、読みやすい。
この本も巻頭に垂見健吾氏の写真(なぜかVOWっぽい)が掲載。

■さとなお『沖縄やぎ地獄』角川文庫
さぬきうどんブームにも一役かった、さとなお氏の本。
池澤氏と同様、食をメインに沖縄を語っているが、語り口は
脱力系で、またもや椎名誠風味。30、40代に影響力大きいのか。
とにかく「食べるのが好き」ということがまっすぐ伝わってくる内容。
沖縄の食堂では、料理一品にすべてごはんとみそ汁がつくので
「ゴーヤチャンプルーとラフテー、ごはん、みそ汁」なんて頼み方
したら「料理2品とごはん×3、みそ汁×3」が出てくるとか、
「おかず」という名のおかずがあるとか、今では結構有名になった
話をいち早く紹介している(初出は1999年)。
また、沖縄そばについては、実地で製法や味の謎(沖縄そばが
他の麺と違う食感である理由等)を調べてあり、読みごたえアリ。
そしてなにより、表題のやぎ料理(特に山羊汁)については…
読んでるだけで、げんなりする。
なんか、蒸した畜舎のかほりらしいよ。絶対食べたくねー。
でも、『さかえ』(山羊料理店)は行ってみたい。
あと実は沖縄に行く前、飲み屋を探す際にホームページでも
お世話になった。多謝。
http://www.satonao.com/special.html

■岡本太郎『沖縄文化論』中公文庫
本土復帰前、他の本に比べて古い時期(1972年)に書かれた本。
だが、沖縄にこそ忘れられた日本の面影が残っている、と
誰よりも早く看破している。
当時の沖縄では、沖縄人自身が自らの文化を卑下している感じ
があり、泡盛を軽視したり、桜坂(飲屋街)に行っても
寿司屋やカレー、丼屋しかなかったという話を読むと
沖縄ブームを経た現在とは隔世の感がある。
作者自身は、首里城や霊御殿(玉陵)、壺屋の焼物、紅型などの
「いいもの、結構なもの」にはあまり魅かれず(俺が沖縄行った時
見たものばっかだけど…)「何でもなくて、凄いもの」を求める。
それはたとえば、住居を囲うため無骨に積み上げただけの石垣であり
道を歩く人の裸足、元気でまめまめしいお婆さん、クバ笠、籠、
舟の形といったもの。美しさや見た目なんかを意識したことも、
考えたこともないようなものが結果、美しくある。
限りなく自然に近しい人工物。そういったものに感嘆と賞賛を送る。
さらに、歌と踊り。かつては人頭税による強制労働と貧困のため、
また近くは戦争のために、残せたのは形ある物ではなく、無形の
歌や踊りだけであった。だがその中にこそ宿る喜びや嘆きといった
生の感情、そして今にまで残る多様性、豊かさに驚くとともに呆れる。
これほど小さな島のどこに、これだけのものが潜んでいるのか、と。
そして。久高島で気品高く穏やかなノロに会い、御嶽に向かう。
そこで見たのは…木々に囲まれ、落葉だけが降り積もる何もない空間。
その「何もなさ」に圧倒される。何もないゆえ、ただ純粋に清らかに
神と向かい合う。本来、日本の神も、聖域も、こうしたものでは
なかったか。これこそ日本元来の姿ではなかったか。
自分の血の中に共感するものを感じた作者は、そう問いかける。
とにかく作者の思い・考え・見方・発想にからみとられ、
息つくひまなく読まされる。情熱があふれまくっている人というのは
死してなお、他に力を与えることができるんだなあ。












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