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kuro score >>> cross core !!!

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「安里屋ユンタ」で有名になった、クヤマの生まれた家。
彼女は1722年、この島に生まれ、78歳まで生きたという。
お墓も、少し離れたところにあるけど、今回は行きそびれた。
歩き疲れて断念した、とも言う。

この安里屋ユンタ、八重山民謡の中でもかなり有名だが、
その歌詞は数パターンあり、細かい差異を数え出すとキリがない。
口伝えで広まったものだから、当然といえば当然か。
ただ、歌詞で大別すると3パターンに分けられる。
1:竹富島で謡い続けられているもの
2:石垣島をはじめとする八重山全体に広がっていったもの
3:昭和9年に共通語で作詞・レコード化され、全国に広まったもの
(さらに「安里屋節」というメロディが異なるものもあるが、
ややこしいので割愛)
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新安里屋ユンタとも呼ばれる3の共通語版は、クヤマも出てこない
まったく異なった内容なので放っておく。問題は、1と2だ。
どちらも、美人のクヤマが、島に赴任してきた役人に言い寄られた
ところから始まる。1の竹富版では、言い寄ってきた役人のうち
上役のもとに嫁ぐのに対し、2の石垣版では「先のことを考えると、
同じ島の夫と結ばれたい」と両方の誘いを断っている。
当時の歴史的背景※を考えると、役人の申し出を一介の島の女性が
無碍に断るのは現実的でなく、後世に脚色されたものと思われるが、
反権力・郷土愛を含んだこの石垣版が今も愛され、
謡い続けられているのは、こちらの方が島の人々の気持ちに
しっくりくるからなんだろう。何気に、竹富版はクヤマの謡というより
ふられてジタバタする役人の方が主役っぽく見えるし。

※役人の命令は絶対的なものであったのに加え、役人の妾になれば
重すぎる年貢が免除されたり、財産をもらえたり、とむしろ利点が
多かった。クヤマも、役人から島の一等地を与えられたという話もある。
もちろん、当の本人の、真の気持ちまではわからないが。

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[竹富版]
安里屋に生まれたクヤマは大層な美人であった。
彼女にまず目差役人が、そして上役の与人役人が求婚した。
クヤマは目差役人を断り、与人役人に嫁いだ。拒絶された
目差役人は、腹いせに島中でもっと美しい女性を探し、
仲筋村でイスケマという女性と出会う。すぐ彼女に求婚し、
両親の承諾を得る。喜び勇んだ目差役人はイスケマを抱いて
ンブフル丘を越え、玻座間村の自宅に帰った。
彼女はお酌も上手で、作法もきっちりしている。
屏風の中で、ともに床についた。男の子も女の子も作ろう。
男の子は、島の指導者になってくれ。
女の子は、家庭を切り盛りしてくれ。

[石垣版]
クヤマは目差役人の求婚も、与人役人の求婚も断った。
将来のことを考えれば、同じ島の夫と結婚したいから。
断られた役人は、島をまわるうちにイスケマという
美しい女性と出会う。すぐ彼女に求婚し、両親の承諾を得た彼は、
喜び勇んで彼女を抱え、走り帰った。

【安里屋ユンタ(原曲)】
サァ 安里屋ぬ くやまによ
サァユイユイ
あん美らさ うん生りばしよ
マタ ハーリヌ
チンダラ カヌシャマヨ

サァ 目差主ぬ 請ゆだらよ
サァユイユイ
あたろ親ぬ 望むたよ
マタ ハーリヌ
チンダラ カヌシャマヨ

サァ 目差主や 我なんばよ
サァユイユイ
あたろ親や 此りゃおいすよ
マタ ハーリヌ
チンダラ カヌシャマヨ

【新安里屋ユンタ(星迷鳥作詞)】
サァ 君は野中の茨の花か
サァユイユイ
暮れて帰れば ヤレホンニ 引き止める
マタ ハーリヌ
チンダラ カヌシャマヨ

サァ 嬉し恥ずかし 浮名を立てて
サァユイユイ
主は白百合 ヤレホンニ ままならぬ
マタ ハーリヌ
チンダラ カヌシャマヨ

サァ 田草取るなら 十六夜月よ
サァユイユイ
二人で気兼ねも ヤレホンニ 水いらず
マタ ハーリヌ
チンダラ カヌシャマヨ

サァ 染めてあげましょ 紺地の小袖
サァユイユイ
掛けておくれよ 情の襷
マタ ハーリヌ
チンダラ カヌシャマヨ












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